自分の評価と他人の評価との対峙

自分の信じる考えを大切にすると以前にも言っていたんですが、この世の中必ず他人に認められてこそ評価され利益を得るのを忘れてはいけないと思う。仕事でデザイン頼まれても最終的にOKを出すのは上司であり他人、仕事とは他人の役に立つことと言って間違いないそこには自分の意見などは隅に追いやられ自然と他人がどう思うかを察知する能力が問われてきた。そして自然と自分が思うデザインなどは「自分がそう思うだけ」というレッテルを貼られるそういうシナリオ。
これこそ自然の摂理でありそうなってもごくごく自然なのです。じゃあ前に俺が言ってた事はただの与太話なのかと言えばそうではないんですね、僕の場合は相手の意見が気に入らなくてもどこか好きになれる部分が存在しそこにスポットライトを当て自分と他人の共通するいいデザインを見つける事なんですね。・・・まあ大した技術力が無いから説得力は欠けてますがこれは一意見として聞いといて下さい。
共通点とは自分が相手の意見を部分的にでもいいから気に入る事なんです。自分はオリジナルのモンスターが得意で会社のロゴを頼まれたんですが、そんなにロゴのデザインも経験が無くどんなニーズに合わせてデザインするか分らなかったんですが、こう言う相手との共通するニーズを出してデザインに当たりました。それは、自分の名刺に載せても恥ずかしくないと親近感の湧くカッコよすぎないデザイン。恥ずかしくないとはだれでもそうして欲しいと思え親近感の湧くデザインは自分のモンスターに通じます。
かならず共通点があり自分を殺さずともデザインや企画にあたれると言う事です、なんのブレもない。

それとよく子供向けと大人向けは相違わない様な言い方をして別物と認識してますが、ポケモンのゲームにおいてあえて子供向けを意識する必要はありません、できれば大人向けの方が圧倒的に得です。
この大人向けと言うのは少し意味が違って大人でも満足するゲームと言う事です。
なんにせよ赤ちゃんと大人の差はありますが、ポケモンのゲームの話では遊びであり、プレイするのは小学生から中学生の子供がターゲットで、大人との考える能力などの差はそれほど致命傷なまでに違う訳ではないんですね。
だから大人も楽しめるゲームを作る、そしてその作るスタッフは自分と子供の共通点を見つけ「これなら俺も子供の気持ちが分る、これなら俺も楽しい、私も家に帰って趣味にできる」と言う風にする必要が有るんですね。
もしこれを怠ってエスパーにでもなったかのように「これなら子供なら飛びつく」や「俺は大人だからしょうがないけど子供なら面白い」を続けてるようでは子供だましと言われても仕方が無い。子供だましとは子供の様に人生の経験が少なくしょぼいゲーム内容でも新鮮に思え凄く思える、それを子供だましと言う。
だから自分を捨てない方がいいですね、人はエスパーではないのだから、いつまでたっても型にはまったパターンしか作れなくなってしまいますから。

自分と他人と言う未知の存在との共通する「良いと思う事」を見つけ出し、自分も気に入る相手も気に入るそういう武器を作っていく必要があります。



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